横須賀市ハンドボール協会のあゆみ(昭和)


1 設立の背景と設立時の動き


● 昭和21年(1946)

・秋、県下に先がけて「横須賀大津高校」にハンドボールのクラブが誕生し、横須賀市にハンドボールの歩みが始まった。



● 昭和22年(1947)
・夏、「横須賀大津高校」女子は、平塚江南高女子とともに県代表として、第1回東日本中学校送 球選手権大会に参加した。また、同年秋には「三浦学苑高等学校」にもハンドボールのクラブが誕生した。



● 昭和31年((1956)
・一般男子「自衛隊久里浜クラブ」が誕生し、県下各大会に出場し活躍した。



● 昭和33年(1958)
・国民体育大会県予選大会に「優勝」した「自衛隊久里浜チーム」が主力となって、本市から監督に「財部重彦」、選手に「澤田、西山、佐々木、佐藤、片渕」ほかに防大生2名が加わり「全神奈川」チームを編成し、第13回国民体育大会(富山県氷見市)に出場健闘した(以上『神奈川 県体育史』より)。このころ「防衛大学校ハンドボール部」が、大学1部で活躍していた。



● 昭和34年(1959)
・11月、「横須賀大津高校」において、協会設立準備委員会(発起人「橋本善次、財部重彦、樽井栄子、田中軍次、澤田賢昭、西山逸成」)らをもって、同年12月、「
林信雄」を初代会長に、「樽井栄子」を初代理事長に選出し、事務局を「横須賀大津高校」に設置し、横須賀市ハンドボール協会が発足誕生した。

・34年度役員
 会長   林 信夫
 副会長  橋本善治  財部重彦
 顧問   能勢省吾  飯田道夫  土屋 仁  林  和
 参与   矢島信次
 理事長  樽井栄子
 常任理事 田中軍次  澤田賢昭  萩野康雄  宮下忠憲  西山逸成  紫崎登志子  田畑由利子



● 昭和35年(1960)
・1月25日、協会発足を記して初めての大会を、横須賀市体育会館(久里浜)において室内大会を開催した。この大会に参加したチ一ムは、一般男子4チーム、高校男子3チーム、女子チーム2チームの計9チームであった。
「七人制ハンドボールの見方」
 ハンドボールは、設備が簡単で老若男女を問わず実施が極めて平易にして多人数のものが同時に行うことが出来、初心者でもはじめから楽しめる球技であります。
 また、走る、飛ぶ、投げると言う人間本来の運動が包括された理想的な球技でもあります。グランドは二十五米×五十米の大きさでボールも手頃なボールであり規則も簡単であるので自然とスピーディーになり、見ていて爽快で一言にして言えばスマートな球技と言えませう。
                                                                 −当時の大会案内より−



2 設立後の歩み

● 昭和35年(1961)

・4月17日、協会主催春季大会を市立工業高校グランドにおいて一般男女、高校男女の10チ一ムが参加して開催した。

・6月、「自衛隊生徒(久里浜)」は、自衛隊久里浜グランドにおいて行われた神奈川県春季ハンドボールにおいてした高校男子の部に初出場し堂々「第3位」に入賞し絶讃を受けた。

・7月、世界選手権大会第2位の実績もつルーマニアチームが来日、横浜市三ッ沢球技場において、県下優秀選手によりなる「全神奈川」チームを編成し、神奈川県として初めて外国チームと対戦 した。この「全神奈川」チームに本協会から、監督に「財部重彦」、コーチ「西山逸成」、主将「佐々木」、選手「宮下、井上、小川、本田」らが出場し健闘した。

・12月室内総合ハンドボール選手権大会を開催、この時、参加料は1チーム200円であった。



● 昭和37年(1962)
・この年から、事務局を「陸上自衛隊通信学校(久里浜部隊)」内に移し2代目理事長に「
菅原護男」を選出し、役員(理事)も改選により一新し、更に協会の充実発展を期す努力した。

・協会加盟団体も逐次増加し、協会が主催する大会も、
春季秋季室内の選手権及び市民体育大会ハンドボール競技の4つの大会を協会年間行事として定着した。
 会長   林 信夫
 副会長  能勢省吾  橋本善治
 顧問   飯田道夫  林  和  田中軍次
 参与   矢島信次
 理事長  菅原護男
 常任理事 中上喜久夫 成瀬紀生  小林達也  鶴田拓夫  安藤幸男  藤原幸介  藤平治夫  紫崎登志子  田畑由利子

 
・横須賀市秋季ハンドボール大会
  日時:37年9月16日 0930〜1635 雨天の場合9月23日
  場所:市立工業グランド
  組合わせ及び結果 



● 昭和38年(1963)

・ハンドボールは国際情勢から、11人制よりスピード感にあふれ、スリルに富み、手軽にゲームができる7人制への切り換えが話題となっていたが、この年11人制が廃止され、7入制に1本化した。
 ◎11人制はフィールド競技で、サッカーと同じ競技場とゴールポストであった。
 ◎7人制は、従来室内競技として行われていた。
・いよいよ7人制に移行と決定され、新しい段階を迎え、協会として県協会が実施した講習会に役員(指導部及び審判員)を参加させ、競技規則、指導技術、審判技術を受講し、早速協会加盟団体を対象に講習会、及び研修会を実施し、その普及徹底を図り努力した。また、この機に、市教育委員会の要請により、市内中学校の体育指導専門の教師を対象に不入斗中学校において「技術指導講習会」を実施した。
・こうして7人制への移行により、
 (1)競技場が狭くなってスピーディーなゲーム展開となったこと。
 (2)審判が2人制になったこと。
 が大きな特色であり、これがため審判員不足が深刻な問題となり、大会運営に支障を生じ、2〜3試合連続の審判を担当しなければならないという苛酷なスケジュールも余儀なくされ、審判員の増員拡充が急務となって来たので、県協会審判部長を講師に招へいし、講習会及び研修会などを重ね、公認審判員の資格を取得し、その後の県協会主催の県下各大会の審判員として積極的に参加し、大会運営と県協会の発展に協力し、併せて審判技術向上に努力、本協会が主催する各大会も順調に運営することができるようになった。


● 昭和39年(1964)
・「林 信雄」会長は、「神奈川県体育功労賞」を受賞した。

・東京オリンピック大会が終わり、その年の瀬を迎えた12月、かねて入院加療中の「林信雄」会長が逝去され、協会関係者は深い悲しみに沈んだ。 後任に、副会長の「
能勢省吾」が2代目会長に就任した

・39年度役員


 会長   能勢省吾
 副会長  橋本善治
 顧問   財部重彦  飯田道夫  林  和  田中軍次  青木 実
 参与   矢島信次
 理事長  菅原護男
 常任理事 庄 克彦  長谷 広  重松純一  成瀬紀生  小林達也  鶴田拓夫  安藤幸男  藤原幸介 藤平治夫 新倉玲子 
      野田主四郎 紫崎登志子 田畑由利子
第2代会長能勢省吾

 

● 昭和41年(1966)
・「横須賀大津高校」女子は、川崎市で開催された第12回関東高校ハンドボール選手権大会に参加した。



● 昭和42年(1967)
・「横須賀大津高校」女子は、富岡市で開催された第13回関東高校ハンドボール選手権大会に参加した。



● 昭和43年(1968)
・4月、菅原理事長が転勤となり、後任に常任理事の「藤原幸介」が3代目理事長となる。
 会長    能勢省吾
 副会長   財部重彦
 顧問    小泉純也  飯田道夫  西山逸成
 理事長   藤原幸介
 副理事長  小林達也
 常任理事  田中軍次  高木康二  菅原正敏  野田主四郎  安藤幸男  酒井克己  長谷 広  大野十一  本田大三郎  鈴木郁生



● 昭和44年(1969)
・市内中学校、高等学校及び海上自衛隊の基地あるいは艦船からの講師派遣の依頼により、協会から指導者を派遣し、ハンドボール技術及び審判要領の指導に当たった。それ以後、特に海上自衛 隊において熱心に強化普及が進められて、協会加盟及び大会参加チームが年々増加し、協会の充実発展に大きな役割を果たしているが、自衛隊は特殊な任務行動の事情があり、また指導者や主力選手の転勤などのため年間を通じての大会に出場できないことがあり残念であった。



● 昭和45年(1970)
・協会の年間行事として講習会を開催し、ハンドボールの底辺拡大を目ざし、基礎技術及び競技力の向上、指導者の養成、審判要領及び技術の向上、審判員の育成に積極的に努力した。



● 昭和47年(1972)
・「能勢省吾」会長は、「横須賀市体育功労賞」授賞式において横須賀市ハンドボール協会の運営発展に寄与した功績により表彰された。



● 昭和48年(1973)
・「財部重彦」副会長は、「横須賀市体育功労賞」授賞式において横須賀市ハンドボール協会の運営発展に寄与した功績により表彰された。



● 昭和49年(1974)
・「田中軍次」常任理事は、「横須賀市体育功労賞」授賞式において横須賀市ハンドボール協会の運営発展に寄与した功績により表彰された。



● 昭和50年(1975)
・1月、「
協会創立15周年記念大会」を久里浜体育館において、市体育協会会長、副会長、教育長、県協会理事長並びに協会発足当時の役員、協会加盟団体の所属長など多数の御来賓を得て盛大に挙行した。

名誉会長 小泉衆議院員


・夏休み中に久里浜体育館において、ハンドボール全般のレベルアップを目ざし、日本リーグの大崎電気から現役選手を講師に招へいして講習会を開催した。その成果は、高校チームが、県下各大会において、また一般チームは県実業団大会、全日本自衛隊大会などに参加し、年毎に上位に躍進する等好成績を挙げ高く評価されてきた。
上位に躍進する等好成績を挙げ高く評価されてきた。



● 昭和51年(1976)
・能勢会長が公務多忙のため辞任、後任に協会顧問の、「
井料克己」が第3代会長に就任した。

 名誉会長 小泉純一郎
 会長   井料克己
 副会長  財部重彦  澤田賢昭
 顧問   能勢省吾
 理事長  藤原幸介
 副理事長 出水 浩
 常任理事 小林達也  鈴木郁生  増田勝良  安留陽一   舛谷  元   金子忠博  浅木建十郎
井料克己 第3代会長

・「藤原幸介」理事長は、横須賀市体育功労者授賞式において横須賀市ハンドボール協会の運営発展に寄与した功績により表彰された。



● 昭和52年(1977)
・「財部重彦」副会長は、「神奈川県体育功労賞」を受賞した。



● 昭和53年(1978)
・「小林達也」常任理事は、「横須賀市体育功労賞」授賞式において横須賀市ハンドボール協会の運営発展に寄与した功績により表彰された。



● 昭和55年(1980)
・「出水 浩」副理事長は、「横須賀市体育功労賞」授賞式において横須賀市ハンドボール協会の運営発展に寄与した功績により表彰された。

・2月、「
協会創立20周年記念式大会」を、新装なった横須賀市総合体育会館において、横山市長、高橋体協会長、渡辺、若命両体協副会長、奥山教育長、澤田体育課長、県協会佐分副理事長 ほか各種目協会会長、理事長など多数の御来席を得て盛大に挙行した。この式典において、多年にわたり協会発展に協力頂いた団体に感謝状を、協会発展に尽力した役員に表彰状を授与した。

・「横須賀学院高校」男子は、甲府市で開催された第26回関東高校ハンドボール選手権大会に神奈川県代表として出場した。



● 昭和57年(1982)
・「自衛隊久里浜」は、2月、愛知県刈谷市で開催された第13回全日本実業団男子トーナメント大会に出場した。また、3月、全日本実業団男子トーナメント大会の参加の功績により横須賀市スポーツ栄光賞を受賞した。

・4月、「金子忠博」常任理事が副理事長に就任した。
 名誉会長 小泉純一郎
 会長   井料克己
 副会長  財部重彦  田中軍次
 顧問   能勢省吾  澤田賢昭
 理 事 長  藤原幸介
 副理事長 金子忠博 
 常任理事 小林達也  鈴木郁生  増田勝良  安留陽一  舛谷 元   浅木建十郎  岩間節雄  白井春雄



●昭和58年 (1983)
・ 1月、恒例の協会新春交礼会を井料会長宅で行った。  



● 昭和59年(1984)

・1月、「小泉純一郎」名誉会長を会長宅に招いて協会新春交礼会を行い、協会の発展を祈念した。

・2月、「自衛隊久里浜」は、大分県別府市で開催された第15回全日本実業団男子トーナメント大会に、全日本自衛隊連盟代表として出場した。

・11月、「横須賀大津高校」女子は、神奈川県高校新人戦ハンドボール競技において、決勝戦に進出し、川崎北高校と対戦し6対5で辛勝し、20年ぶり2度目の「優勝」を飾った。



● 昭和60年(1985)
・2月、「自衛隊久里浜」は、京都府で開催された第16回全日本実業団男子トーナメント大会に出場、念願の全国大会1回戦突破を果たした。



● 昭和61年(1986)

・2月、「自衛隊久里浜」は、仙台市で開催された第17回全日本実業団男子トーナメント大会に出場した。



● 昭和62年(1987)
・1月、恒例の協会新春交礼会を井料会長宅で行った。

・10月、「自衛隊久里浜」は、第19回全日本自衛隊大会に出場し「準優勝」した。

・本塚光二監督が率いる久里浜女子部が誕生した。



● 昭和63年(1988)

・「安留陽一」常任理事、「福元 司」理事は、「横須賀市体育功労賞」授賞式において横須賀市ハンドボール協会の運営発展に寄与した功績により表彰された。

・2月、「自衛隊久里浜」は、愛知県名古屋市で開催された第19回全日本実業団男子トーナメント大会に出場した。


 
平成へ続く